296…297… 椅子がぎしぎしと軋んだ。 バランスをとりながらゆっくりと自分の身体を持ち上げる。 298...299... 「300!」 カウントすると、光が目を打った。窓から差し込む朝日。 「夜が明けた…」 呟きが静かな部屋に響いた。 02. midnight Aria /mission start よっと掛け声と共に地に足をつける。背中を汗が流れた。 (結局寝れなかったな…) 上着を羽織ながらアレンは思った。高揚なのか、それとも緊張なのか、結局明け方まで眠りにつけず、時間しのぎにと鍛錬をしたまま朝を迎えてしまった。はどうしているかな、と隣の部屋のほうへと目を向けたけれど、壁の向こうからはコトリとも音がしなかった。まだ寝ているのかもしれない。 昨日は結局あれから、の必死の謝罪とコムイの(遅い)仲介で、神田は刀を納め、けれど不満げに自室へと戻っていった。任務報告はがすることになったらしい。アレ〜ンと泣きそうになりながらコムイと共に科学班のものだろう部屋に連れて行かれるのを見送った。帰ってきたのは夜中で、あてがわれた部屋からアレンが顔を出して廊下を覗いたら、げっそりと死にそうな顔で隣の部屋へ戻っていくが見えた。 (寝てるんだったら静かに出た方が良いよな…起こさないように) 壁を眺めてアレンはボタンを留めた。 は不思議な女性だった。少なくとも今まで出会ってきた女性(ほとんどが師匠の愛人)とは、ずいぶん違っていた。今まであった女性はいつでも香水と化粧のにおいがして、つややかな髪を揺らし、アレンをぼうやと妖艶な声で呼んではその長い爪で頬をつねったりした。の場合、化粧もしていないしむしろ短い髪は寝癖なのか髪質なのかぴょんぴょんと跳ねていたし、それこそ妖艶さとは程遠い。決して悪人ではないし自分のことを気に入ってくれたようだったし、別に嫌いなわけではない。ただ、昨日のように殺し合いに巻き込まれたりそもそも首を絞められて殺されかけたりするのはいやだ。 アレンの口元に引きつった笑みが浮かぶ。 廊下の様子を伺いながら、アレンはひっそりと外へ踏み出した。 食堂はもう人が集まり賑わっていた。きょろきょろとその様子を見回しながら、朝食が配膳されるらしい場所へひょこっと顔を出す。と、長身の男性(女性?)がサングラスの奥の目を輝かせて此方を見た。 「アラん?!」 声が奇妙に高い。わざと裏声を出しているのかもしれない。 「新入りさん?んまーこれはまたカワイイ子が入ったわねー!」 彼(彼女?)は目をきらきらと輝かせたままアレンの方へ身を乗り出してきた。思わず一歩ひいても、その分こちらへ迫ってくる。 「どうもはじめまして…」 「何食べる?何でも作っちゃうわよアタシ!!」 引きつった笑みを浮かべて挨拶をすると、彼(彼女?)はくねくねと嬉しそうに笑った。 (何でも…) 人差し指を口に当てアレンは考え込んだ。ひどく空腹だけれど、朝食だし、すこしセーブしておいたほうがいいだろうか。 「それじゃあ…」 考えた挙句、アレンは顔を上げた。 「グラタンとポテトとドライカレーとマーボー豆腐とビーフシチューとミートパイとカルパッチョとナシゴレンとチキンにポテトサラダとスコーンとクッパにトムヤンクンとライスあとデザートにマンゴープリンとみたらし団子20本で。あ、全部量多めで」 「…あんたそんなに食べんの?!すごーい…」 ジェリーが頬に汗を浮かべてアレンの顔を食い入るように見つめた。結構抑えたつもりだったんだけど、とアレンは苦笑する。エンゲル係数高いわねぇきっと、とつぶやく彼(彼女でもいいけど)に、アレンはあいまいに首をかしげた。そういえば昔、マナが修行だといって「ゲル係数」という言葉の書き取りをひたすらやらせたことがあったけれど、あれは一体なんだったのだろう。未知の言葉だ。けれど、本能的に、あまり意味を知りたいとは思わない。 料理ができるまで待っていると、不意に怒声が食堂に響いた。 「何だとコラァ!!」 太い男の声だ。振り返ると、エクソシストとは違う白い服を着た大柄の男が立ち上がりいきり立っているのが見えた。 「もういっぺん言ってみやがれ!ああっ!!?」 「おい、やめろバズ!」 彼のそばに座っていた男がいさめようと手を伸ばしたけれど、それを払いのけてバズは目の前のエクソシストに怒鳴りつけた。 「うるせーな」 (!この声…) 聞き覚えのある声に、アレンはそろそろとそばへ寄った。 「メシ食ってる時に後ろでメソメソ死んだ奴らの追悼されちゃ味がマズくなんだよ」 「テメェ…それが殉職した同志に言うセリフか!!」 (…やっぱり…) ふてぶてしい冷徹な声、それは予想通り神田だった。空の皿に箸をおき、面倒くさそうにひじを付いている。その後ろで、バズと呼ばれた男は、怒りでその巨大な身体を震わせていた。アレンが眉を寄せ見守る中で、男がキッと顔を上げた。 「俺たち探索部隊はお前らエクソシストの下で命懸けでサポートしてやってるのに…それを…それを…っ」 声に涙が混じる。かと思うと、耐え切れなくなったのか、その拳が振り上げられた。 「メシがマズくなるだと―――!!」 (?!) 太く硬く握り締められた拳はしかし、神田には届かなかった。かわりに、神田の手がバズの喉を締め上げる。その細身の身体のどこにそんな力があったのか、神田は男を悠々と持ち上げた。 「うぐっ」 「『サポートしてやってる』 だ?」 神田の口元に酷薄な笑みが浮かんだ。 「違げーだろ。サポートしかできねェんだろ。お前らはイノセンスに選ばれなかったハズレ者だ」 周りの探索部隊員達の顔にさっと屈辱的な色が浮かんだ。唇をかみ締め、神田をにらみつける。神田はそれをも馬鹿にしたように眺めて、自分に持ち上げられている男の顔を哂った。 「げふっ」 「死ぬのがイヤなら出てけよ。お前ひとり分の命くらい、いくらでも代わりはいる」 ぐ、と神田の手に力がこもった。バズの手が無意味に空を掻く。 けれど、周囲の探索部隊がゴクリとつばを飲み込んだとき、不意に神田の腕を赤い手が掴んだ。 「ストップ」 アレンは神田の手を抑え、彼の顔をまっすぐに見上げた。 「関係ないとこ悪いですけど、そういう言い方はないと思いますよ」 神田は目の前の少年に不快げに顔をゆがめる。 「………はなせよ、モヤシ」 (モヤッ…っ?!) 「アレンです」 憮然と訂正すると、神田は小馬鹿にするように笑った。 「はっ、一ヶ月で殉職なかったら覚えてやるよ。ここじゃバタバタ死んでく奴が多いからな」 こいつらみたいに、と神田は未だ喉を掴んだままのバズを見下ろした。彼の頬は青くなり、口の端から唾液がこぼれている。神田がなおをも力を込めようとすると、ギリリとアレンの手に力がこもった。予想外の圧力に、神田の手が緩み、バズがずるりと床に崩れ落ちる。 「だから」 アレンは神田をにらみつけた。 「そういう言い方はないでしょ」 神田が表情を消しアレンを見下ろす。 「…早死にするぜ、お前。キライなタイプだ」 アレンは神田の手首を掴んだ腕を下げ、目を細めた。 「そりゃ、どうも」 二人の間に、ごごごごごと黒いオーラが立ち上る。お互い一歩も譲らない様子で睨み合った。探索部隊がこっそりと気絶しているバズをひきずって遠くへ逃げていく。 緊迫した空気を破ったのは、リーバーの声だった。 「あ、いたいた!」 アレンと神田が振り返ると、大荷物を抱え、リナリーと一緒に走っているリーバーが見えた。彼は口の横に手を添え二人を呼んだ。 「10分でメシ食って司令室に来てくれ、任務だ」 「任務…」 アレンが繰り返す。任務、初めての。 「あ、ついでに」 リーバーが言いながらエクソシストたちの部屋が並ぶ廊下の方を指差した。 「二人でも連れてきてくれ、寝てるだろうが、たたき起こせ!無理なら引きずって来い」 神田がひどくいやそうに顔をしかめた。リーバーは頼んだぞ〜と手を振りながらさっさと走っていく。リナリーも小さく手を振りながら微笑んで駆けていった。 アレンが二人を見送っていると、その手を、神田が振り払った。腰の刀を手で押さえると、アレンをにらみつける。 「お前があのバカを連れてこい」 「(バカ…)神田は行かないんですか」 神田がそっぽを向き顔をゆがめる。アレンはそれを見逃さない。 「俺は先に行く」 「えっ、ちょっと待ってくださいよ、何ですかその顔!何があるんですかの部屋は!」 不安で汗が頬を伝う。神田は答えず、さっさと背を向けていこうとする。すかさず、アレンがその団服を掴んだ。直感が言っていた。一人で行ってはいけないと。 「はなせモヤシ!」 「アレンです!はなしません!リーバーさんは二人でって言ったでしょ!」 「知るか!」 「三分待ってください!」 言い置くと、アレンはさっと身を翻しジェリーの元へと走った。そこにはアレンが注文した料理がずらりと並んでいる。アレンはそれをすぐ傍の机まで運ぶと、すぅと大きく息を吸い込んだ。 それから後のことを、ある探索部隊員の一人は後にこう語る。 ブラックホールはここにあったのか、と思いましたね 一瞬ですよ、一瞬 おそらく、あれがウォーカー殿のイノセンスの能力だったのでしょうね 神の力はいつでも偉大です 呆気にとられていた神田の元へアレンは駆け戻り、口を拭った。 久しぶりに超高速で食事をしたせいで少し胃が重いけれど、気にしていられない。 アレンは神田の腕をがっと掴んだ。 「行きますよ!」 |