もうにげられない たてからよこからななめから、何度も、執拗に、なめるように手紙を読んだ。どんなに祈っても哀願しても、文面は変わらなかった。頭は事実をとっくに理解しているのに、心が受け入れられていなかった。ちょっと、目の前が滲んだ。 「おーい、」 声にビクリと肩が跳ねた。すっかり忘れていた。ゆっくりと顔を其方へ向けると、男が大丈夫?と手をヒラヒラと振っていた。大丈夫なものか。断じて。つーか帰れよ。 「なんでコレ…」 「そこにはってあったよ」 そこ、と指差されたのはキッチンの冷蔵庫だ。ということは自分が帰ってくるよりも前に彼がこの家の中に居たということになるわけだ。改めて怖い。ゾワ、と背筋が粟立った。 勝手に人の家のものいじくりよって! ティキの悪気のない笑顔を見て脱力して、もう一度紙に視線をおろす。何が「じゃーねん」だ、このクソオヤジ。 母のこれ、名のある料理人のうわさを聞きつけてはそこに赴いて相手を撃破する、というのは病気のようなもので、実のところ、珍しいことでは、ないのだけど。 何故今?!このとき?! 「ティキさん…」 「なに?」 「本当に、頼むから、帰って」 「嫌です」 「貴様ッ!」 手の中の紙がグシャリといった。本当に何なんだろうこの人は、おかしい。本人は悪びれもせず微笑んでいる。おかしい、おかしい。 あんたおかしいよ、と言ってやろうと口を開いて、けれど、はた、と冷静になって見ると自分の行動もやぱり、おかしい、気がした。普通ならとっくに通報してるだろうし、こんな風に会話したりしないだろう多分。なにしろストーカー疑惑がかかっていた人間が家に不法侵入しているんだから。うん、おかしい。やっぱりおかしい。通報しようかな。いやでもなんというか、そこまでしてしまうのは…っていやいやこの人危ない人だからそれで良いんだよ、だから、だから通報を…でも、いやいや そんな葛藤を見透かしたように、ティキは目の前でニコニコと微笑んだ。(この邪気のない笑顔がまたいけないんだ!)(緊張感がなくなっちまう!) 「…なんですか」 「『お母さんが通報』案はなくなったな」 「……ッ」 言い当てられた。 クソッ 「通報、します。しますよ!ヨッシャ!」 言って、すぐそばの家電に手を伸ばした。110番でしょ、110。やったるわい。受話器を取って、1へと指をあてがう。押すだけだ。そしたら、警察が来て、解決、してくれる (1、1、0、って、押せば、) けれど、そこで一瞬躊躇した。これだから、おかしいというのに。 その隙に、彼の手が1、に添えられたの手に重ねられた。驚いて、身体がはねる。後ろにティキが立っている。 「話を、聞いて」 低い声が耳元に直に響いて、今度は心臓がひっくり返りそうになった。急に金縛りにでもあったかのように、身体が動かなくなる。なんで 「は、はなし…?」 どうにか声を出すと、ティキが後ろで頷いた気配がした。 先程までとは打って変わって、真摯な、真剣な声。 「わかってる、こんなのはおかしいのかもしれない」 「でも、ずっと探してたんだ、二世紀の間、時代が変わっていっても、」 身体がティキと向かい合うようにひっくり返される。正面に、ティキの、ひどく真剣な顔がある。 「あの日から、全部が失われたあの日から、幾つもの、時代の間、ずっと」 は、と一昨日の、夕日に照らされたティキの姿を思い出した。 あのときの感覚が、身体に戻ってくる。 「そんなの…」 わからない、と答えようとして、急に、脳裏に何かがフラッシュバックした。あまりに速くて、その姿までは捉えることができなかったのだけれど。かわりに、身体中が熱くなった。心臓が、壊れそうだ。 「それを、お前も知ってるはずだ、」 「しらっ、しらない…」 知るはずがない。けれど、ティキの手がそ、と頬にそえられた。 「魂が、覚えているはずだ」 心臓を鷲津かまれたような感触に、背筋がゾワリと粟立った。 魂? たましいが、きおくしている 「ッ…!」 混乱した。 こわい、けれど 唇を噛み、ティキを見上げる。 目が合うと、彼は小さく微笑んだ。 こわいけれど、けれど、違う。それだけじゃない。 心臓の早鐘はまだおさまらない。喉がゴクリ、と鳴る。 こわくても、どうしてだか、あの感覚の正体を、知りたい、 (知らなければ、いけない) 「…あなたは、誰なの?」 「……」 一拍の間をおいて、ティキ、と彼は呟いた。 「ティキ・ミック」 そういうことじゃないのだ、と反論しようとして、けれど彼の目がひどく切なげなのに気づいて、何も言えなくなってしまった。 ティキは笑って腕を下ろした。 「俺が怖い?」 たずねられて、つい躊躇した。怖い?そりゃ、怖い。でも、それだけじゃない。 そう、それだけじゃないから 言葉にできなくて、小さく首を振った。ティキは少し驚いたように目を見開いて、それから笑った。そのいちいちが、どこか悲しげで、の心を刺す。 そう、 何か、ひどく罪悪感を覚える。一体どうしてだろう。 「…私を、知ってるの?」 おかしな質問だとは思ったけれど、口を突いて出た。 ティキは頷いた。ずっと前から、 真摯な目が、の瞳を見つめた。 「200年前、出会って、別れた。それからずっと、俺は探していたんだ」 200年? 眉を寄せると、ティキは諦めたように微笑んだ。 「今は、わからなくても、信じなくてもいいよ」 でも 「俺を否定しないでほしい」 「…ひてい…?」 「拒絶しないでほしい」 悲しくなってしまうほど真剣な様子で、切なげに言う。 それにこちらまで心臓を締め付けられるような気がした。どうすればいいのだろう。怖さがない、と言ったら嘘になるけれど。 少し逡巡して、は小さく頷いた。 「…ありがと」 ティキが笑う。 それに、ついもほっとして微笑んだ。 はっ、と我に返って、いやいや、と首を傾げたけれども、目の前のティキが、本当に、嬉しそうに笑うものだから、肩から力が抜けてしまった。恐怖が和らいだ。 この人は相当おかしな人かもしれない。危ない人かもしれない。ただ、自分の中の何か、本能か、それとも魂かが、知りたがっている。彼を前にすると現れる、あの遠い感情の正体を。 本能的に、何かをこの男に求めているような くしゃり、とティキの手がの頭をなでる。 それと同時に、もう一方の手でいつのまにか落ちていた受話器を、かたんと電話に戻した。その音で、急に体中の感覚が戻ってきたような気がした。大きく息をつく。 それを見下ろしていたティキは小さく笑うと、じゃあ、と立ち上がった。 「これで」 「?」 首をかしげたの前でティキは微笑む。 「俺、いくね」 「え?あ、はい!」 「うん、またね」 帰る気になったのか、ティキはさっと背中を向けた。あんまりにもあっさりとした引き際に若干戸惑いながらも、玄関そっちです、と指差す。ティキはうん、と頷き、手をびし、と挙げて一歩踏み出した。そのまま、ばたりと崩れるように体が床に伏す。 「…は?!ティキさん?! 「……うっ」 小さく呻く。と、共に、ティキの丸まったからだから、異様な音が聞こえた。 グルグルルルルルキュゥゥゥウウウ… …… 「ティキさん…お腹に、なんか飼ってる?」 いや、この音は、とても馴染み深い気がする。聞き覚えのある音だ。 次の瞬間、キュウキュウと恨めしげになくティキの音に呼応して、の腹も鳴った。 グゥグゥォオオオオォオ 「…いやん」 女として、ちょっとさすがに恥ずかしいじゃないの。 あまりにも勇ましい音に、腹をさすってティキを伺う。 彼もばったりと床に倒れ付したまま、を見上げていた。 「…腹、減った」 「家に帰って夕食にしたら…」 「俺、家ないんだよね…」 「ホームレス!」 思わずのけぞった。こんななりしてホームレス?! じゃあ一体どこに帰るつもりだったんだ! の心の声が聞こえたのか、ティキは弱弱しく笑うと、公園のトンネルって、案外快適で、と呟く。(あんたはどこの田村君?!)(麒麟です!) 「じゃあ、ご飯とかどうするんですか…?」 「水道があるから…」 「水?!」 ますます開いた口が塞がらない。 ティキは情けなさそうに顔をしかめてため息をついた。 「緊張抜けたら急に空腹がどっときたなぁ」 「え、緊張してたんですか」 「うん、そりゃあね」 ティキが頷く。 こんなでっかい男が。不審な男が緊張て。 (ちょっと笑える…) だめだ、どうも緊張感が足りない。気が抜ける。家なき子宣言でまたむくりと不信感が芽生えたのだけど。 は肩の力を抜いた。あーなんかもういいや。この人。 唸りながらほふく前進で玄関にむかおうとするティキの腕を掴むと、引っ張り挙げ、体を起こす。きょとんと首をかしげたティキに、は微笑んだ。 「ご飯、食べましょうよ。材料はあるみたいだし」 「え?」 「なんか、私にでもできるもの、作ります」 言った後、ちらっ、と後悔の念がよぎったけれど、気づかなかったフリをした。 受け入れよう。うん、いいよ。 おかしなことになってる気はするけど、でも、しょうがない。 もうどうでもいいよ。 だってこんな嬉しそうに笑ってんだもの。 ティキは微笑む。 「じゃあ、ここに住んでいい?」 「おまわりさん不審者です!!」 |
世界の終わりで夢をみる
導入編おわり
まどろっこしぃぃぃ感じで、とりあえず導入編は了
最後は駆け足でおまけにそんな展開?!という感じですが、
もう良いよ!次いこ次!で!
駆け足!ピッピ!
麒麟さん好きです